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松平 忠吉(まつだいら ただよし、永禄2年(1559年) - 天正10年6月24日(1582年7月13日))は、戦国時代・安土桃山時代の武将。松平家次の次男。桜井松平家第5代当主。 1577年に家督を継いでいた兄・忠正が亡くなり、忠正の嫡子・家広はまだ生まれたばかりであったため、兄の正室であった多劫姫(徳川家康の異父妹)を妻に迎えて家督を継ぐ。1581年の高天神城攻めや諏訪原の出城を守るなどして軍功を挙げるが、24歳で夭折。その跡は、甥の家広が継いだ。 なお、長男の信吉は、後に藤井松平家の婿養子となって同家の家督を相続し、上野高崎藩主、次いで丹波篠山藩主に封じられた。また、次男の忠頼は忠正の嫡子・家広の死後に武蔵松山藩主を継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松平忠吉 (桜井松平家)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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